
サンタ・マリーア・マッジョーレ大聖堂
P.za di Santa Maria Maggiore, 00100 Roma RM,
開館時間が不明瞭
教会https://www.vatican.va/various/basiliche/sm_maggiore/en/capitolo/capitolo.htm
博物館
https://www.vatican.va/various/basiliche/sm_maggiore/en/museo/museo.htm

S.ピエトロ、S.ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ、S.パオロ・フオーリ・レ・ムーラとともにローマの4大聖堂の一つで、敷き地はヴァティカン市国に属している。431年エフェソスの公会議で「聖母信仰」を公認したのを記念して、法皇シクストゥス3世が建立を命じた。
たび重なる修復や改築で、15世紀の鐘楼、18世紀のファサード(正面)、バロック様式のアプシス(後陣)、13世紀のモザイク、と部分によってできた時代も様式も様々だが全体としてのバランスをよく保っている。内部はクラッシックなバジリカ様式を残し、類まれな調和と荘厳さに満ちている。

中央廊は36本の大理石の柱で仕切られ列注上部の5世紀のモザイクは、身廊の前方端祭壇上方のアーチに描かれたモザイクとともに同教会の貴重な宝だ。
一方、アプシスのモザイクば13世紀末の、当時ローマで名高かったヤコポ・トッリティの作で、ビザンチン様式を離れ、より優美で色彩に満ちたローマ・モザイクの代表作の一つといってよい。
モザイクの下のレリーフはルネッサンス時代のものである。主祭壇はフェルディナンド・フーガ作の天蓋で覆われ、祭壇下には同教会の最も貴重な聖遺物、キリスト誕生の際の、かいば桶の木片が収められている。

3.ポルティコ



フェリペ5世の像
入って右手にあるのは、バジリカの後援者であるスペイン人のフィリッポⅣ世の像である。
この部分の図面 ジローラモ・LUCENTIの彫刻 13世紀
スペイン王フェリペ 4 世、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニと弟子ジローラモ・ルチェンティ作(1665 年)。
1665年、リベリア教会(リベリアーナ大聖堂=サンタ・マリア・マジョーレ)は、ベルニーニにスペイン国王フェリペ4世を讃え、追悼する作品を描くよう依頼した。フェリペ4世はすでに1647年に聖母マリアへの献身のしるしとして、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に豊かな遺産を築いていた。
ベルニーニが考案したこの像を描いた有名な図面はライプツィヒに保管されており、ベルニーニは教皇大聖堂の柱廊玄関に像を設置するための建築プロジェクトも作成しました。
スペイン国王は、古代の伝統により、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂と特権的な関係を持っています。実際、国王は「正正典」、つまりリベリア正典の章の最初という名誉称号を持っています。フェリペ6世はまだ大聖堂を公式訪問していないため、現時点ではこの称号は依然として名誉国王フアン・カルロスのものとなっている。
2004年から2011年まで大聖堂の大司祭を務めたフランシス・ベルナルド・ロー枢機卿は、当時バチカン美術館の館長であったアントニオ・パオルッチ教授とアーノルド教授の指導の下、サンテ・グイド社によって行われた像の修復を推進した。
フェリペ 4 世は、ベネディツィオーニのロッジャの隣、教皇庁の広間にあるベラスケスの工房からの美しい肖像画にも描かれています。
12.スフォルツア礼拝堂 Cappella Sforza-Cesarini

フィレンツェの偉大な芸術家ミケランジェロによって 87 歳で着想され、その2 年後に亡くなった。その後、プロジェクトを数回完成させた建築家、ティベリオ カルカーニによって建設されました。これは、リブ付きのヴォールトと柱で囲まれた後陣で覆われた楕円形の空間を設計したミケランジェロの最後の作品と考えられます。これは左側の通路にある 2 番目の礼拝堂で、祭壇画で言及されている被昇天の聖母に捧げられています。側面には依頼主のグイド・アスカニオ・スフォルツァ枢機卿と彼の弟で同じく枢機卿のアレッサンドロの墓がある。
ベルニーニ関わらず
13.ボルゲーゼまたはパオリーナ礼拝堂 Cappella Borghese o Paolina
左側の側廊にはパオリーナ礼拝堂がある。1606年、フラミニオ・ボンツォがパオロ・V.ボルゲーゼの注文に応じて作ったものだ。貴石で飾られた見事な祭壇と共に、16世紀のグイド・レーニのフレスコ画も見逃せない。祭壇の「聖母子像」は11世紀頃のものと思われる
https://www.walksinrome.com/the-cappella-paolina-in-the-church-of-santa-maria-maggiore-in-rome.html
クレメンス7世の即位式Incoronazione di Clemente Ⅶ
1611 ピエトロの作
礼拝堂、入って右の壁がこの作品。
クレメンス8世という記述も見られる。
18.ベルニーニ家の墓 Tomba della famiglia Bernini

1680年11月28日、82歳の誕生日まで後9日であった。15日間病の床につき、最後に教皇の特使から教皇の祝福を受けて、9人の子供(5人の娘、4人の息子、うち一人は、S.M.マジョーレの聖職者であった)に見守られて息をひきとる。彼の遺体はサンタ・マリア・マッジョーレに安置され、多くの人々の告別の訪問を受けてから、同教会の一族の墓に納められた。この一族の墓は今日も教会に残るが、ベルニーニ個人の墓碑はない。主祭檀右側の、手すりのすぐ外側の床には、簡潔なデザインの大理石の墓石がはめ込まれていて、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini)の名前がラテン語で記されている。バロック最大の芸術家ベルニーニの墓は、意外なほどシンプルだ。
「高貴なベルニーニ家の復活を待つ」
墓の紋章プレートに関しては不明。



19.システィーナ礼拝堂 Cappella Sistina

右側廊には、ドメニコ・フォンターナが教皇シクストゥス5世のために造ったシスティーナ札拝堂(1585年)がある。金色の小さな聖堂の形をした聖体用祭檀の下には、「聖霊降誕の小礼拝堂」があるのだが、これは13世紀にアルノルフォ・ディ・カンビオが新しくし、元は別の所にあったのをフォンターナがここに持ってきたのである。
22.洗礼堂 Battistero


「聖母被昇天」Assunta
ピエトロの作 1610
洗礼堂のまっすぐ奥の壁にある。
聖女を天に導くプットーの部分にベルニーニが手を入れた
不明
「パオロ5世の胸像」Busto di PaoloⅤ Borghese
ブロンズ、1621年頃 – 1624年頃
パピの間 Salone dei Papi 場所が不明、5.洗礼堂の右か?側廊2Fか?
ボルゲーゼ礼拝堂にないのか、確認。
ボルゲーゼ美術館・パウロ5世

この3番目ヴァージョンのための石膏型だともいわれている。現物未確認

Tomba di Assalonne Rospigliosi
1665
とあるが、場所・由来とも不明
イベント

パウロ5世のカタファルコ
1622年に行われたパウロ5世の葬儀の様子。
ベルニーニが彫刻と建築を一体にした初めての作品。左下に立つ一群の中に、騎士の胸飾りと儀式用の剣をつけたベルニーニの姿が見える。
簡便な素材で、たった40日で建設されたこの作品は、16体の美徳像と20体の天使像で飾られていた。

Feancesco Villaのカタファルコ
1669年

Muzio Matteiのカタファルコ
1668年