
ナヴォーナ広場
Piazza Navona, 00186 Roma RM,
ベルニーニとボッロミーニというバロック芸術の巨匠が、才能を競っているようなこの広場は、ローマ屈指の魅力を誇る。ドミティアヌス帝(81~96年)が建設したローマ最初の競技場のトラック跡である。
1645年に即位した教皇イノケンティウス10世は、出身のパンフィーリ家の栄誉のために広場を改修した。ウルバヌス8世がバルベリーニ家をたたえてクィリナーレの丘を改修した例に倣ったのである。パンフィーリ宮とサンタニューゼ・イン・アゴーネ教会を再建、グレゴリウス13世の噴水2基を改修し、大規模な「4大河の泉」を建設した。

4大河の噴水 Fontana dei Quattro Fiumi

4大河の噴水 F.na dei Quattro Fiumi
1648-51
ベルニーニがナヴォナ広場に制作した《四つの河の泉》は、二つの構想から成っている。一つは、オベリスクの台座を中が空洞になった岩山にするというアイディアであり、もう一つは、それを四大河川の寓意像で飾るという「着想」である。マクセンティウス帝の円形競技場跡で見つかったオベリスクは、6つの断片に分かれていたので、つないで修復する必要があったが、そのかわりそれを立てるのには他のオベリスクほどの困難はなかったと思われる。それでもこの噴水の制作が大へんな作業だったことは、当時の資料が「その非常な困難と苦労とは、実際の作業を見た者でなければ分からないと思う」と伝えていることからも想像できる。しかし不思議なことに、現実にこの噴水を前にしてこうした困難を感じることはほとんどないといってよい。我々はむしろべルニーニがやすやすとこれを成したように思うであろう。それは、実際には非常に重いにもかかわらず、オベリスクの重さがほとんど感じられないことに起因している。そしてこれは、オベリスクという幾何学的で無機的な物体の台座に自然のままの岩山を導入し、しかもその岩山の中を空洞にするという、いかにもベルニーニらしい卓抜なアイディアの賜物である。「魔術師」ベルニーニならではのすぱらしい「舞台装置」だといえよう。



Bellas Artes Bolonia という説もある
第一デッサンでは、オベリスクは対角に置かれている。
第二のデッサンでは、オベリスクが正面を向いて、河の神が教皇の紋章を支えている。




ドナウはオベリスクを見上げ、ナイルは目をおおってその水源が神秘なことを示し、ガンジスは水の豊かさを表わすオールをもち、モール人のラプラタはかたわらにコインを散らしてその金銀の豊かさを示している。
これらの主役に加えて、ベルニーニはシュロ(ナィル)やサボテン(ラプラタ)などの植物と、四大河川を表わす動物として馬(ドナウ)、ライオン(ナィル)、蛇(がンジス)、アルマディロ(ラプラタ)を添えている。馬は洞窟から顔をのぞかせ、ライオンは水を飲もうとかがみ込み、蛇は岩をはい、アルマディロは岩陰からひょうきんな顔をのぞかせて、見る者を楽しませてくれる。さらにベルニーニは、水を岩の間から噴き出させることによって、その戯れに変化をつけている。




四つの大陸に君臨する教会とパンフィーリ家を称讃するために、オベリスの頂にオリーヴの小枝を口にした鳩をすえた。鳩は聖霊の象徴だが、同時にそれはパンフィーリ家の紋章でもあったからである。シクストウス5世以来、オベリスクはしばしば広場の装飾に用いられてきたが、その頂にはいつも十字架がすえられ、オベリスク、すなわち異教に対する教会の勝利が表わされた。その伝統をベルニーニは破ってパンフィーリ家を称えたのである。



ムーア人の泉(モーロの泉) Fontana del Moro
ほかの2つの噴水は、いずれもジャコモ・デラ・ポルタが1575年に水盤のみ作り、19世紀に完成した。
南側の「ムーア人の泉」では、ベルニーニのデザインをもとにジョバンニ・アントニオ・マリが作成した、イルカと闘うエチオピア人像(「黒人」モーロ)を水盤の中心に建てる。(ベルニーニ自身がモーロ像を制作したという説もある)
水盤を縁取るデッラ・ポルタの装飾(4体の「勝利」の像、仮面の彫刻)は複製で、オリジナルはボルゲーゼ公園内の湖の庭園に移されている。さらに外側の水受け盤はボッロミーニのデザインに基づいて、ベルニーニが造ったものである。
第一のデッサンでは、パンフィーリ家の紋章を掲げるデザイン。第二のデッサンでは、いるかが貝を支えるデザイン。ベルニーニが噴水を飾った3頭のイルカが描かれた大きな貝殻はローマ法王に気に入られず、翌年、一行全員をジャニコロの丘の別荘に移した。
その後の試みは、最終的にイノセント Xの支持を得ました。イノセント X は、大きな甲羅の上に立って、尻尾をつかみ、足でイルカの首を絞めますが、イルカは無駄に悶えます。絞め殺された結果、魚の口から水が噴き出します。実際、ベルニーニは噴水の中で、水が流れ出ることを論理的に正当化すると同時に、水に壮観な性格を与えようと常に努めていました。[2]この像の身体的特徴は、漠然と黒人男性の特徴を思い出させます。このため、この像は最初に「デル・エティオペ」、次に「デル・モロ」と呼ばれ、最終的には噴水全体にまでその名前が拡張されました。







ネプチューンの泉 fontana del nettuno

北側の「ネプチューンの泉」は1878年に完成した。
かつてはこの広場でラーゴを楽しみ、そのプロデュースもベルニーニがやった。
1874 年、ナヴォーナ広場の北側の噴水の最終的な建設と同時に、モロの噴水のすべての彫刻群が撤去され、ルイージ アミチによるコピーに置き換えられました。これらは最近修復されたばかりですが、オリジナルは他の噴水に使用されています。特にトリトンはボルゲーゼ公園の噴水で見つかります。
