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46.Palazzo della Cancelleria カンチェッレリア宮

Palazzo della Cancelleria カンチェッレリア宮 P.za della Cancelleria, 1, 00186 Roma RM, 基本的に建物は見学不可なのだが、2023年現在「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」を長期にわたり開催中で、館内に入ることができる。ガイド付きツアーの方が見学できる範囲が広いようだ。このサイトでは建物については言及されていない。宮殿自体のHPは存在しないようだ。 1485年にラファエレ・リアリオ枢機卿が金に糸目をつけずに造らせたルネッサンス建築の代表である宮殿。レオ10世が、自分への陰謀を企てた枢機卿からこの館を没収し、以降、高位聖職者の住居となった。教皇の証書類を作成する尚書院も収容し、ヴァチカン直轄となり、治外法権を持つ。ベルニーニが改築した部分は不明。死の直前の仕事 レオナルド・ダ・ヴィンチ展 少なくともこの中庭には入ることができるようだ。
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47.Ponte Sant’Angelo サンタンジェロ橋

Ponte Sant’Angelo サンタンジェロ橋 サンタンジェロ橋は、皇帝アエリウス ハドリアヌスが都市と彼の霊廟(現在のサンタンジェロ城)の入り口を結ぶために西暦 136 年建設したことから、ポンス アエリウスと呼ばれていました。14 世紀には、市内からサン・ピエトロ大聖堂に行く近道としてつかわれていたが、事故により橋の欄干が壊れ、数名が川で溺死しました。1488 年から 1534 年まで、橋とその前の広場は「処刑台の展示場」、つまり処刑された人の死体が一般に公開される場所として使用された。城を支配する大天使の像により、現在サンタンジェロと呼ばれている橋の外観は、塔は取り壊され、聖ペテロと聖パウロを描いた 2 つの像が追加されました。1668 年には、受難のシンボルを運ぶ天使の像がさらに 10 体追加されました。ベルニーニは教皇クレメンス 9 世から天使の像を描くよう任命され、その執行は彼の弟子たちによって行われました。橋は数回の改修工事を経て 1882 年に現在の姿になりました。 サンタンジェロ橋の天使たち Angel-with-the-Crown-of-Thorns Ange...
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48.Parrocchiale di San Giovanni Battista dei Fiorentini サン・ジョヴァンニ・ディ・フィオレンティーナ聖堂

Parrocchiale di San Giovanni Battista dei Fiorentini サン・ジョヴァンニ・ディ・フィオレンティーナ聖堂 Via Acciaioli, 2, 00186 Roma RM, 無休 8時30分~12時00分 17時00分~19時00分この古いHPはよいのだが、現在公式とされているHPは一切のクリックを受け付けない、よって翻訳できない。開館時間等の記載もない。 もともと教会とは別の建物(隣接、↑写真の右側の道路に面したレンガの建物の中ほどに入口)に美術館があり、ベルニーニの作品は2体とも美術館の方にある。以前は、月・水・金の午前中のみの公開だったのだが、現在は詳細不明。毎日大丈夫なのか。 そもそも、ローマカトリックからbasilicaの称号を許可されているにもかかわらず、battistaでChiesaとはいかなるゆえんか? 教会の左翼廊とされる写真。教会のHPにはこれのみ 数十年前に訪れた時のしょぼくれた教会と同じとは思えない堂々とした魅せる教会になっている…だが、あの足があるのだ、雨漏りしていたあそこにあったあの足が、間違いなく同じ教会なの...
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49.Chiesa di Santa Maria in Monserrato degli Spagnoli サンタ・マリア・イン・モンセラート教会

Chiesa di Santa Maria in Monserrato degli Spagnoli サンタ・マリア・イン・モンセラート教会 Via di Monserrato, 115, 00186 Roma RM, 無休 8時30分~13時00分 15時30分~18時30分日曜 10時00分~12時00分 15時30分~18時30分 まだ製作途中と思われる。なんか、すごく立派になっている(笑) 1518年にアントニオ・ダ・サンガッロが工事を始めた教会で、二つのオーダーが重なったファサードは、16世紀のフランチェスコ・ダ・ヴォルテッラの建築で、カタロニア地方の聖地モンセルラート山を暗示する岩を鋸で引く聖母子を刻んだ浮き彫りで飾られている。1875年からはスペインの国民教会である。カンポ・ディ・フィオーリ裏の狭い道に地味にあり、開館時間も守られず、モントーヤの肖像は教会堂内にはなく、いじわるそうなお婆さんが取り付く島もない。結構な組織をもってしても、「教会管理者との一連の長期にわたる交渉の後、BSR一行は聖具室への入場を許可され、」という状況らしい。 ペドロ・ドゥ・フォア・モントーヤの...
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50.Palazzo Spada スパーダ宮

Palazzo Spada スパーダ宮 Piazza Capo di Ferro, 13, 00186 Roma RM, ギャラリー・スパーダGalleria Spadaの営業時間火曜定休 8時30分~19時30分HP()は例によって機能しない この壮麗な館は、カーポ・ディ・フェッロ枢機卿のために1540年に建てられた。17世紀には、ベルナルディーノ・スパーダ枢機卿が、弟のヴィルジーノとここに住み、ベルニーニとボッロミーニに改装を命じた。1927 年にイタリア国によって、すべての調度品とギャラリーとともにスパーダ ヴェラーリの相続人から購入され、現在は国務院が置かれる国家施設。 よく見る遠近法のギャラリーはボッロミーニの建築。ベルニーニの建築部位、情報なし。 昔は「ウルバヌス8世の胸像を見るためには、許可が必要(別途手配)、ギャラリーにはない」だったのだが、ギャラリーの最初の部屋、Stanza del soffitto azzurro(青い天井の部屋)にあるという記述もある。それにしては、画像や資料が少ない。ギャラリーのwikiには「ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ:ラオコーンの胸像」な...
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51.Chiesa di San Francesco a Ripa サン・フランチェスコ・ア・リーパ教会

Chiesa di San Francesco a Ripa サン・フランチェスコ・ア・リーパ教会 Piazza di S. Francesco d’Assisi, 88, 00153 Roma RM, 無休 7時30分~12時30分 16時30分~19時30分 1231年創建。17世紀後半にM.デ・ロッシによって再建された教会。 アルベルトーニ礼拝堂 Cappella Paluzzi Albertoni Chiesa di San Francesco a Ripa Chiesa di San Francesco a Ripa 左の側廊の入口から4番目のアルベルトーニ礼拝堂に「福者ルドヴィカ・アルベルトーニ」がある。ルドヴィカ・アルベルトーニ(1473~1533年)は、生前貧しい人々の救済に献身し、1671年に福者に列せられた。これを記念して福者の同族であるパルッツィ・デリ・アルベルトーニ枢機卿が、この教会にあった同家の礼拝堂に聖女の像を造るようにベルニーニに依頼したもの。神との一致という法悦状態を表しているかのような顔の表情、衣のひだの乱れ、さらにこの像が飾られている祭壇の奥行きを深...
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52.Basilica di San Crisogono サン・クリソゴーノ聖堂

Basilica di San Crisogono サン・クリソゴーノ聖堂 Piazza Sidney Sonnino, 00153 Roma RM, 無休 7時00分~12時00分 15時30分~19時00分日曜 8時00分~13時00分 15時30分~19時00分 サン クリソゴノは、殉教者聖クリソゴヌスに捧げられたローマの最初の教区教会であるティトゥリの 1 つ(リオネトラステヴェレ)の教会 で 4 世紀に建てられました。教会は三位一体派によって奉仕されています。1123 年にジョン オブ クレマによって再建され、1626 年にシピオーネ ボルゲーゼの資金提供を受けてジョヴァンニバティスタ ソリアによって再び再建されました。大聖堂が三位一体教団の管理下に置かれた直後の 1860 年代半ばに、さらなる改修が行われました。 主祭壇の右ポーリ礼拝堂Capprlla Poliと左のマドンナ・デル・カルミネ礼拝堂Cappella del Madonna del Carmine。混同され礼拝堂の主祭壇の入れ替わり等誤解を招いた過去を持つ。 ポーリ礼拝堂の建築 Capprlla Poli ベル...
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53.Chiesa di San Pietro in Montorio サン・ピエトロ・イン・モントーリオ教会

Chiesa di San Pietro in Montorio サン・ピエトロ・イン・モントーリオ教会 Via di S. Pietro in Montorio, 2, 00153 Roma RM, 月曜定休 8時30分~12時00分 15時00分~16時00分 9世紀頃に創建され、15世紀の後半にスペイン王フェルディナンドと王妃イザベラによって立て直された。内部は単廊式。ライモンディ礼拝堂は左側❾中庭にはブラマンテのテンピエット⓬ ライモンディ礼拝堂 Cappella Raymondi Chiesa di San Pietro in Montorio Chiesa di San Pietro in Montorio ICG/Calcografia; campionario 131 Identificazione: CAPPELLA RAYMONDI IN S. PIETRO IN MONTORIO A ROMA : VEDUTA FRONTALE Titolo proprio: CAPPELLA ET ALTARE NELLA CHIESA DI S.PIETRO MONTORIO...
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54.Galleria Corsini-Gallerie Nazionali di Arte Antica コルシーニ宮-国立絵画館

Galleria Corsini-Gallerie Nazionali di Arte Antica コルシーニ宮-国立絵画館 Via della Lungara, 10, 00165 Roma RM, 月曜定休 10時00分~19時00分0階がリンチェイ・アカデミーとなっているので、たぶんここから入って1階に上がるのであろう。なんか不親切、googlemapで見る限り、案内がない。 評判通り、案内図が役に立たない… コルシーニ宮殿の歴史は、1511 年にラファエレ リアリオ枢機卿 (1461-1521) によってルンガラ通りの敷地に建てられた建物から始まります。1659 年から 1689 年にかけて改修され、スウェーデン女王クリスティーナの住居となりました。その後、クレメンス 12 世の名となったロレンツォ・コルシーニの手に渡り、コルシーニ家は 1883 年までこの宮殿を使用していましたが、コレクション全体をイタリア王国に寄贈し、最初のイタリア国立美術館の誕生に貢献しました。コルシーニ美術館は、18 世紀のローマ時代の絵画美術館の中で、現在もほぼそのままの姿を保っている唯一の美術館で...
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55.Chiesa di San Giacomo alla Lungara サン・ジャコモ教会

Chiesa di San Giacomo alla Lungara サン・ジャコモ教会 Via della Lungara, 141, 00165 Roma RM, 2007年には、「閉鎖している」という記述があり、2018 年 4 月 22 日「本日オープンしました」という口コミ有。時間、HPとも不明 この教会の起源はおそらく9 世紀の教皇レオ 4 世の時代で、12 世紀にイノケンティウス 4 世はシルベストリン ベネディクト会の修道士にそれを与えました。高貴な教会であったパパレスキ教会が消滅すると、ユリウス 2 世はこの複合施設の所有地をジュリア礼拝堂に譲渡しました。1620年、バチカン支部は教会をフランシスコ会に委託したが、数年後、この複合施設は悔い改めた修道女たちに割り当てられ、 1644年には枢機卿の甥 フランチェスコ・バルベリーニと彼の構成弁護士イッポリト・メレンダの保護のおかげで、ルイージ・アリグッチによって修復され、教会は 3 つの通路を持つ大聖堂の計画を失い、格天井のある 1 つの身廊になりました。ルンゴテヴェレ建設のために建物は取り壊されそうになるが、1902 年...
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56.Basilica di San Sebastiano fuori le mura サン・セバスティアノ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂

Basilica di San Sebastiano fuori le mura サン・セバスティアノ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂 Via Appia Antica, 136, 00179 Roma RM, 無休 10時00分~17時00分 4世紀の前半に建てられた使徒ペテロとパウロに捧げられた聖堂で、二人の遺体は一時期このカタコンベに埋葬されていた。その後、ディオクレティアヌス帝の時代に殉教した聖セバスティアヌスがここに葬られ、9世紀頃にはこの殉教者の名を冠するようになった。当初は3廊の聖堂であったが、13世紀には単廊式に改装され、17世紀の初めにはボルゲーゼ枢機卿の命で建て直された。カタコンベ押しであった。 IL SALVATOR MUNDI サルバトール・ムンディ Basilica di San Sebastiano fuori le mura pianta Basilica di San Sebastiano fuori le mura pianta ICG-D/ Biblioteca Corsini; Gabinetto Disegni e Stampe, Fondo Cors...
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57.Fontana delle Tartarughe 亀の噴水

Fontana delle Tartarughe 亀の噴水 Piazza Mattei, 00186 Roma RM, タッデオ・ランディーニが、ジャコモ・デッラ・ポルタの下絵に基づいて1581~84年に造った噴水。マティ広場にある。のちにベルニーニが、亀だけを付け加えた。 完成当時の図 / 所蔵不明 1580 年から 1588 年にかけて、建築家のジャコモ デッラ ポルタと彫刻家のタッデオ ランディーニによって建てられました。青銅の亀は、ジャン ロレンツォ ベルニーニかアンドレア サッキの作とされ、噴水が修復された 1658 年または 1659 年に追加されました。当初の噴水のデザインでは、バスク上部に 4 頭の青銅のイルカが配置され、4 人の若者が高く上げた手で支えられていました。水圧が低いために4頭のイルカが撤去されたため、像の上げられた手は意味がなくなったかのように見えました。 おそらくこの問題を修正し、構図のバランスをとるために、教皇アレクサンドル 7 世の命令により 1658 年から 1659 年にかけて噴水の修復が行われた際に、バスクの端の周りに描かれた 4 匹の亀が追加...
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58.Palazzo Altieri アルティエリ宮

Palazzo Altieri アルティエリ宮 Piazza del Gesù, 49, 00186 Roma RM, 以前は、FAXにて予約せよとFAX番号066767646が載せられていたが…現在はどうなのか?HPもないようだ。 アルティエーリ家の最後の跡継ぎ、ジャンバティスタ・ディ・ロレンツォ・アルティエーリと、後にクレメンス10世となるエミリオ・アルティエーリの両枢機卿兄弟が建設した。多くの家を取り壊さなければならなかったが、ベルタという婦人が立ち退きを拒否したため、彼女のあばら家はパラッツォの内部に取り込まれてしまった。その窓が建物の西端に見られる。「クレメンス10世の胸像」は1997年にバルベリーニ宮(国立絵画館)に移動したので、入館の必要はないのだが、とても豪奢で優雅らしい。 クレメンス10世の半身像 Mezza figura di ClementeⅩ 1997年にバルベリーニ宮(国立絵画館)に移動
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59.Accademia Nazionale di San Luca アカデミア・ナツィオナーレ・ディ・サン・ルカ

Accademia Nazionale di San Luca アカデミア・ナツィオナーレ・ディ・サン・ルカ Piazza Accademia di S. Luca, 77, 00187 Roma RM, 日曜・月曜 定休 10時00分~17時30分 グーグルマップで中に入り込めるのだが、うーむ。 ローマの芸術家団体で、初代理事長(プリンス)でもあったフェデリコ・ズッカリによって1593 年に設立され、最初の数年間、協会は教皇の後援の軌道に乗り、教皇が協会を支配し、管理しました。1620年、ウルバヌス8世はローマで誰を「芸術家」とみなせるかを決定する権利をアカデミア・ディ・サン・ルカに与え、13年後の1633年には、すべての芸術家に課税し、アカデミーのすべての公的委託を独占する権限を与えた。アカデミーは芸術家に高度な教育を与えると同時に、彼らに対して教会が直接管理するという目的を持っていたという。学術団体によって選出された著名な芸術的人物はアカデミア ディ サン ルカの王子たちと呼ばれ、ベルニーニもそれに含まれる。 Accademia Nazionale di San Luca Acc...
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60.Palazzo Braschi-Museo di Roma ブラスキ宮-ローマ博物館

Palazzo Braschi-Museo di Roma ブラスキ宮-ローマ博物館 Piazza di San Pantaleo, 10, Piazza Navona, 2, 00186 Roma RM, 月曜 定休 10時00分~19時00分 この宮殿は、教皇ピウス 6 世の甥であるルイージ ブラスキ オネスティ公爵によって 1790 年に購入され、そこにあった小ジュリアーノ・ダ・サンガロがフランチェスコ・オルシーニのために建てた16世紀の宮殿を取り壊し自分自身の宮殿を一から建てた。建築家はコジモ・モレッリでした。1816 年に彼が亡くなったとき、宮殿は未完成のままで、家族の資金は枯渇しました。1871 年、ブラスキ オネスティの相続人はこの建物をイタリア国に売却し、内務省の本拠地となりました。1949 年に宮殿は市当局に譲渡され、1952 年の大規模な保存を経て、現在の博物館の設置が行われました。 Museo di Roma ローマ博物館 Palazzo Braschi-Museo di Roma Santo panneggiato con libro本を持った聖人Gian Lo...
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61.Villa della Farnesina ファルネジーナ荘

Villa della Farnesina ファルネジーナ荘 Via della Lungara, 230, 00165 Roma RM, 月曜定休 10時00分~17時00分 ローマのトラステヴェレ地区にあるルネッサンス様式の郊外のヴィラです。1506 年から 1510 年にかけて、教皇の裕福なシエナ銀行家アゴスティーノ キージのために建てられたこの邸宅は、市内にあるキージの本館キージ宮殿の付属となる新しいタイプの郊外の別荘でした。1577 年にファルネーゼ家の所有物になり、その後、ナポリのブルボン家の所有となり、1861 年にはローマのスペイン大使、リパルタ公ベルムデス デ カストロの所有となりました。現在、イタリア国家が所有しており、古くから有名なローマ科学アカデミー、アカデミア デイ リンセイが収容されています。2007 年までは、ローマの国立描画研究所の Gabinetto dei Disegni e delle Stampe (図面および版画部門) も置かれていたが、現在はIstituto Centrale per la Graficaに吸収されているようだ。よって、ベルニ...
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62.Palazzo Altemps – Museo Nazionale Romano アルテンプス宮-国立博物館

Palazzo Altemps – Museo Nazionale Romano アルテンプス宮-国立博物館 Piazza di Sant’Apollinare, 46, 00186 Roma RM, 月曜定休 9時30分~19時00分 リアリオ家によって 15 世紀に建てられ、1 世紀後にマルコ シッティコ アルテンプス枢機卿の命令で改修されたパラッツォ アルテンプスは、ローマ国立博物館の一部として1997 年にオープンしました。国立博物館は、マッシモ宮とディオクレティアヌス帝の浴場跡、アルテンプス宮の2館3か所とで構成されている 「ルドヴィーシのアレス」 Ares Ludovisi  Museo Nazionale Romano - Palazzo Altemps ベルニーニが修復した部分 「ルドヴィーシのアレス」 Ares Ludovisi 修復 1621-23 エロスの頭部を加えた右手と剣の柄の部分、下にいる天使の頭部 アレス/マルスは若くてひげのない、紋章に座った姿で描かれている一方、エロスは彼の足元で戯れており、休息の瞬間にある戦争の神が愛の対象として提示されているという事...
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63.Casino dell’Aurora Pallavicini Rospigliosi

Casino dell’Aurora Pallavicini Rospigliosi パラビッチーニ・ロスピリオージ館 Via Ventiquattro Maggio, 43, 00187 Roma RM, 一般公開は、毎月 1 日 (1 月を除く)10:00 ~ 12:00 および 15:00 ~ 17:00 で、グイド レニのフレスコ画が描かれた中央ホールに限定されます。 コンスタンティヌス浴場の遺跡の上に建てられ、現在はマッジョ通り 24 号線に沿った大きな壁に隠されているパラッツォ パラヴィチーニ ロスピリオージは、教皇パウルス 5 世の甥であるシピオーネ ボルゲーゼ枢機卿の遺言により、フラミニオ ポンツォの設計により 1613 年に着工されました。広大な複合施設には小さなカジノが点在しており、その 1 つが有名な Casino dell’Aurora です。素晴らしい二重スロープを通ってアクセスし、ローマ時代の彫像や大理石の胸像で飾られた「スカラ デッラ パストレッラ」を有する。カジノの名前と名声は、グイド・レニ作のオーロラを描いた有名なフレスコ画によるもので、中央ホールの金...
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64.Biblioteca Hertziana

Biblioteca Hertziana ヘルツィアーナ図書館 Via Gregoriana, 30, 00187 Roma RM, 土曜・日曜 定休 9時00分~19時00分 Bibliotheca Hertziana – Max Planck Institute for Art History は、ローマにあるドイツの研究機関です。1912 年にヘンリエット ヘルツの寄付によりカイザー ヴィルヘルム研究所として設立されました。この研究所は、グレゴリアナ通り沿いの 4 つの建物群、16 世紀のズッカリ宮殿、隣接するストロガノフ宮殿、道路の向かいにあるヴィリーノ・ストロガノフ、そしてスペインの建築家フアン・ナバロ・バルデベグが設計した新しい図書館の建物(2012年完成)で成り立っています。 ベルニーニと人々の肖像 / Biblioteca Hertziana ベルニーニと人々の肖像Joachim von Sandrart 1630年頃ベルニーニは右の一番上
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65.Basilica di San Lorenzo in Damaso サン・ロレンツォ・イン・タマゾ聖堂65.Basilica di San Lorenzo in Damaso

Basilica di San Lorenzo in Damaso サン・ロレンツォ・イン・タマゾ聖堂 P.za della Cancelleria, 1, 00186 Roma RM, 平日 10時30分~12時30分 16時00分~19時00分土・日 10時00分~12時00分 16時30分~19時00分 Palazzo della Cancelleria 46(教皇庁尚書院)のなかの枢機卿の礼拝堂として、存在する。 入口が2か所ある。 1.アレッサンドロ・ヴァルトリーニの記念碑 Monument to Alessandro Valtrini Basilica di San Lorenzo in Damaso Basilica di San Lorenzo in Damaso 入り口横の壁にあるベルニーニによって1639 年に設計され、同年に彼の工房によって制作された葬儀記念碑です。それはイッポリト メレンダの記念碑と強い親和性を持っています。どちらもベルニーニの工房によって行われ、それぞれヴァルトリーニとメレンダの教会活動を称賛するためにフランチェスコ・バルベリーニ枢機卿からの依...
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66.Basilica di Santa Maria in Trastevere サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂

Basilica di Santa Maria in Trastevere サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂 Piazza di Santa Maria in Trastevere, 00153 Roma RM, 無休 7時30分~20時30分 土曜~21時00分 すでに5世紀末の教会会議参加者リストにその名が記されているが、元々はティトゥルス・ユウリ・エト・カリスティという名であった。222年に殉教した司教カリストゥスを記念して、司教ユリウスが建造させたとされる。現在の建築は12世紀の教皇インノケンティウス2世による全面的な改築後のものである。現在の聖堂、東面にあるファサードの金モザイクが目をひく。建築様式としてはロマネスクに分類される。 ライモンディの石棺のテラコッタ Santa Maria in Trastevere Francesco Raimondi / Chiesa di San Pietro in Montorio S.ピエトロ・イン・モントリオ教会のライモンディ石棺確認できず。 聖エリザベスの訪問 作者は不明だが、ベルニーニのスケッチがもととなっているとされる。...
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67.Basilica di Santa Francesca Romana(Santa Maria Nova)

Basilica di Santa Francesca Romana(Santa Maria Nova) サン・フランチェスカ・ロマーナ聖堂 Piazza di Santa Francesca Romana, 4, 00186 Roma RM, 無休 9時00分~11時30分 15時00分~17時00分 8 世紀に、かつてのヴィーナスとローマの神殿の柱廊玄関に設置されたと推定されています。この場所にある教会は10世紀までに知られており、その時までに廃墟となっていた聖マリアを祀るローマのフォロ・ローマの中にある他の教会、サンタ・マリア・アンティクア(「古代の聖マリア」)と区別するために、サンタ・マリア・ノヴァ(または「ヌオーヴァ」、「新しい聖マリア」)と名付けられ、古代教会の遺物は、教皇レオのもとでこの教会に移されました。サンタ マリア ヌオーヴァは 10 世紀後半に拡張され、13 世紀に教皇ホノリウス 3 世によって再建され、鐘楼と後陣が追加され、モザイクのマエスタで装飾されました。これらの建造物の北に隣接し、コロッセオに向かってさらに西の両側に伸びているのは、巨大な古代ローマ神殿の外...
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68.Museo Nazionale del Palazzo di Venezia ヴェネツィア宮殿(国立博物館)

Museo Nazionale del Palazzo di Venezia ヴェネツィア宮殿(国立博物館) Via del Plebiscito, 118, 00186 Roma RM, 無休 9時30分~19時30分 サン・マルコ教会 (San Marco Evangelista al Campidoglio, Rome) に任命された枢機卿の住居として意図された、ささやかな中世の住居であった。1451年、この建物の新たな所有者となった枢機卿ピエトロ・バルボ(教皇エウゲニウス4世の甥。のちの教皇パウルス2世)は、建物を要塞化した。中世の塔を中心に拡張が行われることによって、敷地には古代に建造されたサン・マルコ教会(336年に教皇マルクスによって設立された)が完全に組み込まれることになった。それ以後も宮殿は頻繁に改築が行われた。建物は教皇所有の住居となったが、1564年にピウス4世は、ヴェネツィア共和国との友誼を得るため、建物の一部をヴェネツィア共和国に提供した。ヴェネツィア共和国は、建物の維持管理や将来の修復を提供することとなった。建物は、ヴェネツィアの大使館として、またサン・マル...
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69.Basilica di Santa Anastasia al Palatino サン・アナスタシア聖堂

Basilica di Santa Anastasia al Palatino サン・アナスタシア聖堂 Piazza di Sant’Anastasia, 1, 00186 Roma RM, 無休 8時00分~19時00分 4 世紀(325 ~ 326 年?)に建てられ、さまざまな層状のローマ建築の上に建っています。ディオクレティアヌス帝の統治下で殉教したローマの女性、シルミウムの聖アナスタシア(281-304) に捧げられた。すでに499 年の教会会議の規定において、教会は名称Anastasiaeで登録されています。聖ヒエロニムス(4 世紀)の説教と結びついていて、聖ヒエロニムスはおそらくそこに住んでいて、聖地から重要な遺物をもたらし、今もそこに保管されている。教会は、教皇ダマスス 1 世(366-383)、教皇ヒラリー(461-468)、教皇ヨハネ 7 世(705-707)、教皇レオ 3 世(795-816)、教皇グレゴリウス 4 世(827-844) によって何度か修復されました。現代の教会の形は、1636 年に修復を命じた教皇ウルバヌス 8 世 バルベリーニの影響によるものです...
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70.Chiesa di San Calisto サン・カリスト教会

Chiesa di San Calisto サン・カリスト教会 Basilica of Our Lady in Trastevere, Piazza di S. Calisto, 6, 00153 Roma RM, 時間・HPとも記載なし 教皇カリストゥス1世が祈りのために溺死して殉教した家の上に建てられたとされ、併設された修道院の中庭に教皇が殉教したといわれる井戸の縁石がある。サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会にその際に首に巻き付けられた石が他の拷問器具と一緒に残されている。1610 年にオラツィオ トッリアーニの設計で再び再建され、隣接する修道院も建てられた。19世紀初頭のフランス占領により 両方の建物は深刻な損傷を受け、 1851 年のピウス 9 世の教皇在位中に大規模な修復があり、1930 年代に建築家ジュゼッペ モモによって全体が新たに大規模な修復を受けた。教会のファサードは17世紀のもので、上部にはパウロ 5 世の紋章が描かれており、内部は 1 つの身廊と両側に礼拝堂がある。 右の礼拝堂 Chiesa di San Calisto Cappella di Saint ...
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71.Ospedaliero Santo Spirito In Sassia サッシアのサント・スピリト病院

Ospedaliero Santo Spirito In Sassia サッシアのサント・スピリト病院 Lungotevere in Sassia, 1, 00193 Roma RM, 騎士団のための病院から始まるこの病院地域は、現在、その名の通りの近代的な病院とその名の教会、コンベンションホールという複合施設となって存在している。 LE CORSIE SISTINE 病院のHPに正面玄関に加えて、長い側面は 2 つの壮大な門に通じています。外側の門はベルニーニによるもので、内側の門はアンドレア ブレニョによるパラダイスとして知られています。という記述があるのだが、どこがそれなのか不明。 見学には予約が必要のよう。 ICG/ Calcografia; campionario 79 Identificazione: ALESSANDRO VII CHIGI PAPA Titolo proprio: PORTA DEL'HOSPEDALE DI S. SPIRITO IN SASSIA, DALLA PARTE .. ICG/ Calcografia; campionario 79 Ide...
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72.Villa Albani Torlonia アルバーニ荘

Villa Albani Torlonia アルバーニ荘 Via Salaria, 92, 00198 Roma RM, 最低寄付額50€/1名をもって事前予約する ヴィッラアルバーニ(後のヴィッラ アルバーニ トロニア) は、アレッサンドロ アルバーニ枢機卿のためにサラリア通りに建てられたローマの別荘です。この建物は、建築家カルロ・マルキオンニによって 1747 年から 1767 年にかけて 、アルバーニの骨董品コレクションを収蔵するために建設されました。このヴィラは、1866 年に購入したトルロニア家によって 現在までそのままの状態で保存されている、ローマ唯一であろう広大な敷地を保ったままのヴィラではあるが、財団となったアルバーニ家の管理はあまりセンスがないと見える。広い庭も解放されていない。 TORLONIA COLLECTION Statue of Goat (Caprone, bouc, Ziegenbock). STATUE OF RESTING GOAT休むヤギの像 おそらく古代ローマの邸宅の調度品の一部として考えられたこの強力な動物の彫刻は、帝国時代にまで遡り、ヴィンチ...
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73.villa Mattei マッティ荘

villa Mattei マッティ荘 〒00184, Metropolitan City of Rome Capital, Rome住所もこんな(笑)現在はただの広大な公園になっている。ローマ市の管轄なのだが、持て余し気味?写真はナヴィッチェラ通りからの入口で、Chiesa di San Tommaso in Formis という教会の隣。いくつか出入口があり、中に道路も通っている部分もあるが、城壁に囲まれて閉鎖的。 起源はフラウィウス時代とトラヤヌス時代に遡る敷地を占めており、ヒラリアナ大聖堂とその特異なモザイクやさまざまな時代の数多くの発見物が含まれており、ヘリオポリスの太陽神殿から略奪されたもので、一般に「串刺し」として知られるラムセス2 世のエジプトのオベリスクがもあります。オベリスクには不吉な伝説が付いています。最後の移動工事中に、作業員の上に台座が(ロープの破損により)落下する事故があり、作業員は上肢を失い、解放するには切断しなければなりませんでした。そしてそれは今でも同じ基盤の下にあります。この記念碑的な入口は、かつてマッテオ ボイアルド通りにあったが、現在は建設のため消...
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75.Piazza Farnese ファルネーゼ広場

Piazza Farnese ファルネーゼ広場 フランス大使公邸1662 年から 1689 年まで、ローマのフランス大使館の本部はファルネーゼ宮殿にあり、パルマ公は同盟者ルイ14世にこの宮殿を開放しました。大使は全員フランスの偉大な領主であり、ローマの生活において主導的な役割を果たしています。厳しい議定書によって生活が規制されている大使館の通常のアニメーション大使の性格や政治的背景に応じて、その影響はさらに大きくなる可能性があります。パーティーは自慢の機会であると同時に、大使が身を滅ぼすこともある「国王への奉仕」のパフォーマンスでもある。 クルキ公爵は 1662 年 5 月 21 日に、80 台の馬車に護衛されて正式に入国した。こうして、いわゆるコルシカ島事件に支配された名門大使館の開設の時が開かれ、宮殿は包囲された要塞へと変貌することになる。確かに、大使は必要な華やかさを持って訪問に出かけます。しかし、彼は大規模な公共の祭りを開催しません。彼はコルシカ島への攻撃のほうを心配しているが、この平凡な乱闘は堕落し、永続的な結果をもたらす。実際、1662年8月20日、ファルネーゼ宮殿近くの居...
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76.Parrocchia Santuario di Santa Maria in Traspontina サンタ マリア イン トランスポンティーナ教会

Parrocchia Santuario di Santa Maria in Traspontina サンタ マリア イン トランスポンティーナ教会 Via della Conciliazione, 00193 Roma8時00分~13時00分 16時00分~20時00分 詳細が何もわからない、2体とも「巻物を持つ天使 Angelo con cartiglio」としか書かれていない。フェデリコ・ゼリのこの写真のみ
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77.Battistero Lateranense di San Giovanni in Fonte ラテラーノ洗礼堂

Battistero Lateranense di San Giovanni in Fonte ラテラーノ洗礼堂 P.za di S. Giovanni in Laterano, 4, 00184 Roma ラテラン洗礼堂(イタリア語: Battistero lateanense、サン・ジョバンニ・イン・フォンテまたはサン・ジョバンニ・イン・オンダとしても知られる) は、ローマの聖ヨハネ・ラテラノ大聖堂とは別に建っており、後の建設によってこの大聖堂と結合されました。この洗礼堂は440 年に教皇シクストゥス 3 世によって設立されましたが、コンスタンティヌス大帝がそこで洗礼を受け、この洗礼堂を豊かにしたという伝説が広まったため、おそらく以前の建物の上に建てられました。しかし、彼が洗礼を受けたとすれば、それはローマ帝国の東部で、おそらくアリウス派の司教によって洗礼を受けた可能性が高いです。この洗礼堂は何世代にもわたってローマで唯一の洗礼堂であり、そのドーム状の八角形の構造は、全身を浸すための大きな八角形の洗面器を中心としており、イタリア全土の他の洗礼堂のモデルとなり、さらには装飾写本の象徴...
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78.Villa Montalto Peretti ヴィラ モンタルト ペレッティ

Villa Montalto Peretti ヴィラ モンタルト ペレッティ テルミニ駅辺り ヴィラ モンタルト ペレッティ マッシモは、ヴィラ ネグローニとしても知られ、今日のローマのR. XVIII カストロ プレトリオの中心部に位置するヴィラでした。 この別荘は、エリアが細分化され、巨大なテルミニ駅複合施設が建設されるよう、19 世紀末に取り壊されました。 1860 年、ローマ駅の建設を機に別荘の解体が始まりましたが、1872 年末時点でも敷地の半分はまだ存在していました。実際には、シクストゥス 5 世宮殿を含む約 8000 m 2が残っていました。しかし、こことカジノ フェリーチェは両方とも 1887 年に取り壊されました。正宮殿があった場所にはマッシモ アッレ テルメ宮殿(国立博物館)が建てられ、カジノ フェリーチェがあった場所にはジョリッティ宮殿(複合ビル)が建てられました。 「カストロ・プレトリオ」と呼ばれる新しい地区は、1921 年 8 月 20 日に設立されました。 現在、この別荘はマッシモ宮殿前のニコラ通りとヴィミナーレ通りの間の「ヴィラ・ペレッティ広場」として記憶...