トロイア

  かくいいおわるや既にもう、はげしさ増しつつ都じゅう、
  狂う火の音耳に人り、熱渦を巻いて身にせまる。
  「ですから父上、さあ早く、わたしの肩に乗られるよう。
  私は背負ってさしあげる。なに、この重さは大丈夫。
  事のなり行きどうなろと、危険も一つで共通で、
  救いもふたりは一緒です。わたしは幼いユールス(アスカニウス)を、
  連れてゆきます、そのあとを、ずうっと妻は来るように。
  …父上あなたは聖物と、
  家郷の守神を持たれたい。わたしは何分あのように、
  ひどく戦い人を斬り、けがれた体で神聖な、
  そういうものにさわるのは、流れる川で身すすぎを、すませるまではできません」。
        (泉井訳、第1巻705-720)

すでにバルディヌッチが指摘しているように、この作品のアエネアスの顔などには、父ピエトロの作品を思わせるところがある。こうした様式的特徴に加えて、ベルニーニがしぱしぱ父の仕事を手伝ったと考えられること(たとえぱ、サン・タンドレア・デルラ・ヴァルレ内バルベリー二礼拝堂の童子など)、またこの作品をピエトロの作と述べている資料もあることなどから、この彫刻はピエトロ作とも、父子の共作ともいわれてさた。たが今日では、その後発見された記録に基づいて、若きベルニーニの作品とすることで識者の意見がほぽ一致している。この作品をよく観察すると、アンキセスの老いた肉体などに、一層進歩したベルニーニの表現力を見出すであろう。だがそれとともに、彫刻全体、ことにアエネアスの造形にベルニーニ特有の活力が感じられず、ある種の逡巡と憶病さがあるのに気づく。こうした本格的彫刻には、これまでの小規模な作品の場合とは、次元の共なる技術と経験と、が必要である。いきおいベルニーニも慎重になり、父の助言を仰いだことは容易に想像できる。マニエリスムに特徴的な、人物の螺旋状の横成が残っているのはそのせいだとみることもできよう。またこの作品においても、ベルニーニはミケランジェロを参考にしたと思われ、アエネアスはサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァにある《復活せるキリスト》を連想させる。その一方で彼が絵画作品を研究したことも疑いなく、同じ主題のフェデリーコ・バロッチの作品をはじめ、ヴァチカン宮内のラファェルロの壁画《ボルゴの火災》等の影響が指摘できる。二十歳を過ぎたぱかりの若い彫刻家が初めて手がけたモニュメンタルな彫刻としては、この作品は充分満足すべき出来映えである。しかし結果的には、全体をうまくまとめるということに気をとられ過ぎて、意図した表現を実現できずに終ったきらいがあるように思われる。