プロセルピーナの略奪

シピオーネ・ボルゲーゼの注文による本格的彫刻作品の第一作は《アエネアス》だったが、ベルニーニはこれに続けて三つの作品を制作した。ボルゲーゼ美術館の至宝《プロセルピナの略奪》、《ダヴィデ》、そして《アポロとダフネ》がそれである。
三作の最初は《プロセルピナの略奪》で、《ネプテューンとトリトン》に続いて1621年から22年にかけて制作されたと考えられる。キューピットに愛の矢を射られたプルトがプロセルピナを誘拐するという主題は、オヴィディウスの『転身物語』に基づいている。さて、プロセルピナは、この森のなかで遊びたわむれ、すみれや真白 にかがやく百合の花を摘んで、乙女らしく嬉々として籠につめたり、ふと ころに人れたリしては、友だちのだれよりもたくさん摘みとろうと夢中にな っていました。それをたまたまデイス(プルト)がみとめ、恋ごころをお ぽえ、たちまちかの女を奪いさらったのです。しかも、ディスの恋ときた ら、まったく電光石火のような素早さでした。プロセルピナは、おどろき おそれて、かなしげな声で母や遊び友だちに助けをもとめ、とりわけ母 の名をいくども呼びました。……(田中前田訳、第5巻391-397)

マニエリスムの彫刻家は、この「プロセルピナの略奪」や「サビニ女の略奪」といった略奪の主題や、「サムソンとペリシテ人」といった闘争の主題を好んでとりあげた。それは一つには、この種の主題が彼らが得意とした複雑な運動の表現に適していたからである。ベルニーニもこの彫刻を構想するに当って、初めマニエリスト風に二人の人物が互いにねじり合う螺旋状のポーズを考えた。このことは、初期の彫刻に関しては唯一現存する、貴重な準備デッサンが教えてくれる。しかし実際に制作された彫刻では、このからみ合う螺旋連動というマニエリスム的構想は放棄されている。これは同時に、マニエリスム彫刻の大きな特徴である視点の多元性、つまり周り中どこから見てもよいような彫刻をよしとする美学が放棄されたことを意味する(マニエリスム彫刻を代表するチェルリー二は、彫刻は絵画よりも八倍も優れている、なぜなら絵画は一つの視点しかもたないのに比ベ、彫刻は八つのそれを有するからだと述べている!)。

Galleria degli Uffizi / Firenze

確かに、この《プロセルピナの略奪》は正面から見るように作られている。マニエリスム彫刻の典型ともいうべきジャンボローニャの《サビニ女の略奪》と比較すれぱ、このことはすぐに納得がゆく。ジャンボローニャの作品はとめどなく回転する視点を有しており、我々はどうしてもその周りを回らざるをえない。一方、ベルニーニの方は、誰もが正面からカメラを向ける作品、つまり絵を見るように一つの視点から鑑賞することができる作品なのである。ベルニーニは明らかにマニエリスム彫刻の視点の多元性をきらったのであり、その結果ルネッサンスの単一的視点の彫刻に戻ることになったのである。しかしもはや1ブロックの大理石の中で、いわぱ求心的に造形を探求するルネッサンスの彫刻法に満足できるはずがない。そこでベルニーニは、マニエリスムの彫刻家が達成した造形の多様性と構想の自由を、ルネッサンスの単一的視点をもった彫刻の中で達成しようとしたと見ることができよう。このように「ルネッサンスの単一的視点とマニエリストが達成した自由を結びつけることによって、ベルニーニは新しいバロックの彫刻概念の礎を築いた」(ウィットコウアー)のである。噴水やサン・タンジェロ橋を飾る彫刻のように、いろいろな方向から見られるべく作られた作品を除いて、この後のベルニーニの彫刻作品はすべて単一的視点を設定して制作されている。この《プロセルピナの略奪》は現在美術館では室の中央に、いわゆる「独立した」彫刻として展示されているが、元来は壁につけて飾られていたことが知られている。そのことからも、この彫刻に単一的視点が設定されていたことは明らかであろう(ただしこの彫刻は、1623年7月にシピオーネ・ボルゲーゼからルドヴィーコ・ルドヴィーシに贈られ、1909年に国家が買い上げるまでルドヴィーシ家の別荘にあった)。この単一的視点と並んで次に注目されるのは、ベルニーニがこの作品において、物語のクライマックスの瞬間を捉えようとしていることである。その意味で、この彫刻には絵画を、さらにいえぱ写真を連想させるところがある。つまり、この作品に認められる運動感は、ジャンボローニャの《サビニ女の略奪》のようなフォルム自体がもっている運動感とは全く異なり、いわぱスナップ・ショットのように瞬間を固定したことによって生じたものだといえるのである。ベルニーニ自身気づいていたように、こうした絵画的表現を彫刻によって達成しようというのは、まったくもって大胆な試みである。だがそれによって彼は、先に述べたような大理石彫刻の新しいタイプ、バロックのタイプを創造しえたのである。それにしても、彫刻において瞬間を捉えるというこうした大胆な目論見を非常なレアリティをもって実現した、彼の彫刻技術は信し難いほどだ。大理石を刻む技の冴えは、この作品のあらゆる細部に現われている。たとえぱ、プルトの指がくい込む辺りのプロセルピナの肌の表現を見られたい。
そこには見る者を恍惚とさせる「技巧」がある。石でありながらとても石とは思われない、この真に迫る肉体表現は、ミケランジェロの人物は解剖学的にすぱらしいだけで肉体を感じさせない、という後年のベルニーニの言葉を想い起こさせる。彼はパリでシャントルーに次のように語っている。「彼(ミケランジェロ)は偉大な彫刻家であり、また偉大な画家たが、ぞれ以上に神のごとき建築家である。というのは、建築はすべて素描から成るからだ。だが彫刻や絵画においては、彼は肉体を表現する才能をもっておらず、彼の人物は解剖学的に美しく、りっぱなだけだ」。
これもずっと後、ベルニーニ晩年のことであるが、彼の《ルイ十四世の騎馬像》を見たある人が、王の衣や馬のたてがみに動きがありすぎて古代の先例から離れてしまっているのではないか、と批判したことがあった。これに対して、ベルニーニは次のように答えたとドメニコは伝えている。「あなたが欠点だとおっしゃったことは、実は私の芸術の最高の業績なのです。このためにこそ、私は大理石をあたかもロウであるかのように扱うという困難を克服してきたのであり、それによってある程度絵画と彫刻とを結びつけてきたのです。古代人たちがこれを成しとげなかった理由は、多分大理石を自分の意志に従わせるという勇気が彼らに欠けていたからでしょう」。この《プロセルピナの略奪》には、絵画と彫刻とを結びつけようとする発想と、そのために大理石をロウのように意のままに刻もうとする意志とがすでにはっきりと認められる。このことと、ベルニーニにとってこの作品が本格的スケールの彫刻としては第三作目であることを考え合わせると、我々は最初期の彼の作品を見た時と同じような驚きに襲われる。新しい発想、それを試みる果敢さ、そしてそれを実現する技術、ベルニーニはこれらを生来の特質として備えていたように見えるからである。