11.Piazza di Spagna スペイン広場

Piazza di Spagna
スペイン広場

Piazza di Spagna, 00187 Roma RM,

間近にあるスペイン大使館にちなんで命名された。広場の中央には、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ作「バルカッチャの噴水(舟の噴水)」がある。東には大階段がある。西側はコルソ通りに向けてコンドッティ通りがある。
スパーニャ広場には、トリニタ・デイ・モンティ教会へと続くトリニタ・デイ・モンティ階段、通称「スペイン階段」が接する。 設計はフランチェスコ・ディ・サンクティスによるもので、1725年に完成した。波を打つような形態はバロック的な効果をあげている。

外観:噴水

映画『ローマの休日』で、オードリー・ヘプバーン扮する王女がジェラートを食べたシーンでもおなじみの場所である。当初、フランスの外交官の寄付によって造られたものの、スパーニャ広場にあるためこの名で呼ばれている。
現在はスパーニャ広場付近の地下鉄入り口付近に階段を上らずに上にいけるエレベーターが設置されている。
保全のため広場での飲食や階段での座り込みが法令で禁止され、『ローマの休日』のシーンのようにジェラートを食べたり座ったりすることはできない。

船の噴水 / F.na della Barcaccia

Cod.Chigi / Musei Vaticani スペイン階段の建築スケッチ Sketch for a monumental staircase leading to Santissima Trinita dei Monti Studio per la Scalimata di Trinita de Monti disegno del 1660 cod.Chig PⅦ 10, c.30-31
Pietro (1562-1629) and Gian Lorenzo (1598-1680) Bernini. Italian sculptors. Fountain of the Old Boat (Fontana della Barcaccia), 1627. Detail. Piazza di Spagna. Rome. Italy.
ICG/Gabinetto Disegni e Stampe, Fondo Corsini; volume 57K6 Identificazione: STEMMA DI PAPA URBANO VIII BARBERINI Opera finale/originale: SCULTURA Soggetto opera finale/originale: STEMMA DI PAPA URBANO VIII BARBERINI Collocazione opera finale/originale: ROMA FONTANA DI PIAZZA DI SPAGNA

本彫刻作品は1629年にウルバヌス8世により、彫刻家のピエトロ・ベルニーニとジャン・ロレンツォ・ベルニーニの親子に注文された。

礼拝堂の装飾とならんで、祝祭の体験が生きているのは、一群の噴水においてである。噴水はさながら都市の広場を舞台とする祝祭の装置のようである。いうまでもなく、この場合の主役は水だが、ベルニーニは光とともに水に関心を抱き、水を愛した。後年パリを訪れた彼は、ある夏の夕方シャントルーとともにポン・ルージュに散歩に出た。そして橋に着くと馬車をとめさせ、四半時飽くことなく川の様子を眺めて、「すぱらしい眺めだ。私は水とは大の友達だ。水は心を清めてくれる」と述べている。ローマは水の恵み豊かな都市であり、同時に噴水の都市である。ローマの魅力であるその舞台のような眺めに、噴水は欠くことができない。そう考えるならぱ、ベルニーニがローマに遺した最大の遺産は、彼が処々に作った噴水だともいえよう。
 古代ローマは、壮大なスケールの水道施設のおかげて、豊かな水に恵まれていた。しかしこれらの水道施設が蛮族の侵人によって破壊されたため、給水の手段を断たれた中世のローマの人々は、カンポ・マルッィオ地区(今日のナヴォナ広場の周辺)を中心とした川沿いの低地に住み、テヴェレ河から採取して5,6日寝かした水を飲料水としていた。1453年に、ニコラウス5世がアルベルティに命じてアックワ・ヴェルジネと呼ぱれた古代の水道の一部を甦らせてからも、人々は毎日テヴェレの水を水売りから買わなければならなかったのである。ところが、16世紀の末にシクストウス5世がアックワ・フェリーチェを、そして17世紀に入ってパウルス5世がアックワ・パオラを建設するに及んで、ローマはようやく古代に比肩する水道の都市となる。当時ローマでは、これらの水道施設によって11万ほどの人口に対して1日18万立方㍍、つまり1人当たり1700㍑の水が供給されたといわれ、そのため当局は1850年まで新しい給水手段を考える必要がないほどであった。こうした豊富な水を用いて、都市の各所に噴水が作られた。しかしベルニーニが登場するまでの噴水は、主に建築家の手に成る、幾何学的形態を基本とした建造物であり、彫刻が添えられる場合にも単なる飾りとしてしか扱われない、想像力に乏しいものだったのである。
 これに対して、ベルニーニが手がけた最初の本格的噴水は、スペイン階段の下に設置された《バルカッチャの泉》(バルガッチャは老いぽれ船の意)である。1628年から翌年にかけて作られたこの噴水は、ウルバヌス8世の紋章を掲げた船をかたどっている。水は船の端からも中央からも流れ出て、船内にたまった水は船ぺりからあふれ出るという趣向になっているが、楕円の盤に重そうに横たわるこの船は、比較的単純な形態でできているにもかかわらず、見飽きることがない。ウルバヌス8世はこの噴水をたたえて、「教皇の軍艦は砲火を放つかわり戦いの火を消す甘美な水を放つ」と歌ったと伝えられる。またバルディヌッチによれぱ、ベルニーニは噴水には何らかの高貴な意昧がなけれぱならないと考えていた。その点について言えぱ、この《バルカッチャの泉》は小船、つまり教会そのものを表わそうとしたものだとも、あるいはまさしくこの場所にあったことが知られていた、ドミティアヌス帝のナウマキア(船遊びや船のゲームをするための場所)にインスピレーションを得たものだとも言われている。あるいは、その両方の意味が込められていることも充分考えられよう。   BERNINIp96

かつては父ピエトロの最後の作品とされていたが、今日では息子の作とするのが一般的である。現在この噴水の優雅な背景となっているスペイン階段よりもほとんど1世紀早く1629年に完成した。水圧の乏しいヴィルゴー水道の水を利用する必要があったが、形状は両端に噴水出口がある老朽した小舟(バルカッチャ)の姿に見える巧妙な設計になっていて、船とあまり大きさの違わない池の中へ沈んでいきながら、舳先と艫から水が噴出するように考案されている。1598年の史上未曾有のテヴェレ川の洪水の時に、ピンチョの丘の現在スペイン階段がある傾斜面に漂着した小舟から着想が得られたといわれる。1598年のクリスマスには、ローマのこの一体は水深5~7.5mまで沈んだ。しかし「沈没する小舟」のテーマはすでにカルロ・マデルノが噴水に使っており、この着想はエウゲニウス4世(1431~47)の在位中にローマの南方ネーミ湖中におけるカリグラ帝の沈没船の発見によるものと思われる。
             ROMAp314、地球p67

広場にある≪舟の噴水≫は,浸水で沈みかかった老舟を浅い水溜まりに配したもので,ローマのバロック噴水のなかでも最も目立たないものだ。というのも,水圧が非常に低いため,派手な吹き上げや滝もなく,噴水の縁に腰掛ける人々のせいで,まったく見えないことも多いからだ。設計は,有名なジャン・ロレンツォ・ベルニーニか,彼の父のピエトロといわれている。噴水を飾る「バルベリーニの蜂」と太陽は,この噴水の制作を依頼したバルベリーニ家出身の法王ウルバヌス8世の紋章である。               白ROMAp133

イベント
ICG/ Calcografia; FONDO BARBERINI; campionario 174 Identificazione: DELFINO DI FRANCIA GIGLI CORONA CON GIGLI Titolo proprio: Apparato per la festa della nascita del Delfino di Francia
フランス王子誕生の祭典,作者-Dominique Barrière