22.Piazza Barberini バルベリーニ広場

Piazza Barberini
バルベリーニ広場

P.za Barberini, 00187 Roma RM,

広場の名称は、すぐ南にあるバルベリーニ家の宮殿、パラッツォ・バルベリーニに由来する。そこはかつてはスフォルツァ家の所有地であり、この広場も1625年ごろからはスフォルツァ広場と呼ばれていた。さらにその前、16世紀中ごろには“piazza Grimana”と呼ばれていたらしく、その痕跡はvia degli Avignonesi街に残るプレートに見られる。なお、パラッツォ・バルベリーニは1633年ごろに完成している。

外観:噴水

トリトーネの噴水 F.na del Tritone

1642年から43年、(32~37年説)教皇ウルバヌス8世の命で、実家バルベリーニ宮の前の広場に造らせた。トリトーネはギリシャ神話の半人半魚の海神で、普通法螺貝を吹き鳴らす姿で表される。ベルニーニは種々の寓意を見事に結びつけて、この幾分曖昧な海神をトリトーネ広場と呼ばれていた場所の中央に据えて、パトローノに敬意を表した。トリトーネは、文学によって獲得された不滅性の象徴として使われた(ウルバヌス8世は才能豊かなラテン詩人であった。)4頭のイルカは、王侯の気前の良さを象徴した(ウルバヌス8世は優れた芸術保護者であった)。蜂は神の摂理の表象であった(同時に蜂はバルベリーニ家の紋章でもあった)。すべてが教皇その人を暗示するように配慮された。
1642年から43年にかけて、ウルパヌス8世が実家パルベリーニ宮の前に広がる広場に作らせた《トリトーネの泉》は、ベルニーニの噴水の中でも最も名高く、最も想像力に富んだ作品である。広場の大きさからするとごく小さく、また水も真上に噴き上がるだけという単純な趣向であるが、それにもかかわらずこの噴水は、広場を詩的でお伽話的な雰囲気でみたしている。その異教的雰囲気はオヴィディウスの詩句そのままだ。

ベルニーニのトリトーネ(トリトン)は4匹のイルカに支えられた貝の上にすわり、口に当てがった法螺貝から「号音」ではなく水を噴き上げている。水はトリトーネに当たってくだけ散り、あるいは貝からこぽれ落ちて、風の具合によってさまざまに光と音とをもてあそぶ。ベルニーニの彫刻作品中、唯一の完全に独立した彫刻であるトリトーネは、どの方向から見ても、ベルニーニ一流のダイナミックな動勢を感じさせ、同時に「ミケランジェロ的モニュメンタリティ」(ブラント)を達成している。そしてこれに水が加わった時、異教神話の詩的な雰囲気が周囲に広がるのである。ベルニーニはここで、それまでの幾何学的形態に支配されていた噴水を一変させ、噴水を水と光と音のファンタジーを作り出す一つの総合的彫刻作品にした。このまったく新しい噴水の概念は、ヨーロッパ中で展開するバロックの豊かな水の祭典の基礎となったといえる。つまり、トリトーネが吹き鳴らす法螺貝は、新しい噴水の時代の幕開けを四方に告げているのである。

実はこの《トリトーネの泉》を制作するに際して、ベルニーニが参考にしたと考えられる彫刻がある。それは1611年にステファノ・マデルノがヴァチカンの庭園にある《鷲の泉》のために作った、イルカにのるトリトーネの像で、ポーズはベルニーニのそれとそっくりである。しかしベルニーニがこの像を参考にしながらも、まったく新しい発想と着想とで独創的な噴水を作りあけたことは、すてに見たとおりである。その着想、つまり噴水が表わす「高貴な意味」は2通りに解釈される。まず、トリトーネは文芸による不滅を象徴するから、噴水は教皇の詩才をたたえたものたと解釈でさる。さらに、イルカは王侯の祝福を去わし、バルベリーニのハチは神の摂理を象徴するので、神の導きによる教皇の賢明な治世を宣伝しているともいわれる。いずれにせよ、観る者はその造形の魔術に魅せられるにちがいない。だが、近代の都市改造と近年の交通事情によってすっかり、周囲が変わり、加えて水圧の低下で噴きあがる水の勢いが衰えてしまったために、今日その効果が半減してしまったことはいかにも惜しまれる。 

The Metropolitan Museum of Art(NewYork)
Royal Collection / Windsor
Giardini Vaticani
Villa Mattei

蜂の噴水 F.na delle Api

《トリトーネの泉》から戻った水を貯め、馬の飲料水にするためのもう一つの噴水、《ハチの泉》を作った。生命と豊饒のシンボルてある貝と、バルベリーニのハチを組み合わせるという風変わりな趣向でてきているこの噴水は、小さいが、なかなか面白い作品てある(ただし、今日の噴水は当初のままではない。元来は広場の別の側の建物に付けてあったのを、19世紀にとりはずし、今世紀の初めに現在あるヴェネト通りの入口に、独立した噴水として再構成したものである。現在の噴水にはこの時補われた部分か多い)。この《ハチの泉》について、ジルリは興昧深い話を伝えている。すなわち、これが完成したのは1644年の6月でウルバヌス8世が即位してから21年目だったが、ベルニーニは1カ月余り先を見越して、その銘文にウルバヌス8世の治世22年と年紀を入れた。ところがこれを見とがめた者が、さっそく皮肉を込めた落首を出した。そこで気にしたバルベリーニ枢機卿が石工を送って年紀を改めさせたが、人々はこれを教皇が22年目に到達しない前触れだと噂し合ったという。ところがその噂が現実となって、ウルバヌス8世は1644年7月28日に、22年目まで後8日を残して世を去ってしまうのである。