38.Pantheon(Basilica di Santa Maria ad Martyres)パンテオン(サンタ マリア殉教者大聖堂)

Pantheon(Basilica di Santa Maria ad Martyres)
パンテオン(サンタ マリア殉教者大聖堂)

Piazza della Rotonda, 00186 Roma RM,

無休 9時00分~18時30分
https://www.pantheonroma.com/

紀元前 27 年、初代皇帝アウグストゥスの義理の息子であるマルコ ヴィプサーニオ アグリッパは、この神殿を建設させ、7 つの惑星の神に捧げました。ギリシャ語で「すべての神々の」を意味するパンテオンの名前を付けました。

外観

元の建物は、現在の建物より小さかったと思われますが、西暦80年に焼失し、 118 年から 125 年にかけてハドリアヌス帝によって再建されました。
再建する際、ハドリアヌス帝はアグリッパのアプローチを考慮しませんでした。彼は建物の向きを 180 度ひっくり返し、新しい神殿の前に大きな柱廊式広場を開設しました。
パンテオンは、最初のキリスト教皇帝の時代に閉鎖され放棄され、その後野蛮人によって略奪されましたが、西暦 609 年にビザンチン皇帝フォカスによって教皇ボニファティウス 4 世に寄贈されました。教皇ボニファティウス 4 世は、この神殿を聖マリア殉教者に捧げました。

クーポラの装飾の構想案

stamp場所不明 / Musei Vaticani パンテオンの修復案クーポラ

クーポラの装飾の構想案 
1667頃
ベルニーニは教皇の命を受けて1657年以降、パンテオンに付加された後世の遣物を除去し、同時に広場を整備するプランに従事していた。このプランは締局実現されずに終るが、彼がいかにパンテオンを崇拝していたかは、パリで教皇の大使に語った次の言葉によく現われている。「最も完壁な形は円や方形や六角形、そして八角形などである。サン・ピエトロのドームは確かに美しく、古代の作品にも見出せないものである。しかしサン・ピェトロには100の欠陥があるが、ロトンダ(パンテオン、ロトンダとは円形の建物の意)にはそれがまったくない。」ベルニーニはここで円と正多角形を特別視するルネッサンス的美学を繰り返し、それによって彼が3つの教会建設に集中式プランを用いた理由を間接的に説明しているわけである。彼は共和政時代のパンテオンはより英雄的な簡素さをもっていたと信じていた、といわれる。新古典主義時代になるとパンテオンを模した教会が各地に建てられるようになるが、その前例をバロックの帝王ベルニーニに見出すのは、意外の念を禁じえないであろう。しかも彼は、おそらく実際のパンテオンについて彼が立てたプランに基づいて、教会の周囲をも然るべく整えて、その偉大さを一層完全な姿で見せようとしていたのである。                         BERNINI p142

パンテオンの鐘楼建築 「ロバの耳」“orecchie d’asino”

Gaetano Vetturali 作 / ギャラリー品

17世紀にベルニーニがパンテオンのペディメントに乗せた二つの鐘塔を、パスクィーノは「ベルニーニのロバの耳」と呼び不評。1883年鐘塔は撤去された。

多数の絵画が残されている

Piranesi
パンテオンの1836年の展望(ジャイコブ・アルト画/アルベルティーナ蔵)
Bernardo Bellotto (Canaletto)/ Museum of Fine Arts (Szepmuveszeti) Budapest, Hungary
stamp場所不明 / Musei Vaticani パンテオンの修復案鐘楼