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4大河の噴水 F.na dei Quattro Fiumi 参考資料

4大河の噴水 F.na dei Quattro Fiumi1648-51バロック時代の君侯が、ベルニーニのような才能を長い間用いずにいるのはおそらく困難なことであろう。実際、イノケンティウス10世も4年とたたないうちに彼を第一線に復帰させることになるのだが、その再起の経緯は、いつものようにどこか芝居じみている。ドミティアヌス帝の円形競技場の跡をそっくり残したナヴォナ広場は、15世紀後半にカピトリーノの丘から市場が移されて以来、ローマの市民生活の中心となっていた。すでに述べたとおり、パンフィーリ家のパラッッォはこの広場に面していたが、教皇はそれを改築し、同時に自家の教会を建てて、そこを「パンフィーリの島」にしようとした。このパラッッォとサン・タニェーゼ教会の建設にはジロラモ・ライナルディが起用されたが、彼は70代半ばの老人であり、まもなくボルロミーニが代って工事の監督に当たるようになった。これらの工事に加えて、広場の装飾として噴水の建設が企画された。噴水はすでにグレゴリウス13世の時代に広場の両端に2基作られていたが、今度は中央により大きな噴水を作ろうというのである。しかしこの計画を実行...