建築

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2.Piazza San Pietro サン・ピエトロ広場

Piazza San Pietro サン・ピエトロ広場 Vatican アレクサンデル7世(1655-67)が教皇に選出される以前に、すでに彼とベルニーニの両者でコロンナートの構想をしていたと思われる。1656年、教皇は即位後間もなくベルニーニを招いて、彼及び建築委員会と大事業をいかに達成するかについて議論を開始した。検討すべき多くの課題があった。ピアッツァ・レッタと呼ばれる、大聖堂ファサードの通路に挟まれた台形のスペースを残し、また前廊(ポルティコ)の北のヴァチカン宮殿への旧玄関口を残す必要があったヴァチカン宮殿の、教皇祝福が与えられる窓は、可能な限り群衆から見える必要があった。また公式儀礼の際に、教皇が祝福「ローマ市と世界の信徒へ」を与えるのに使用する、大聖堂中央入口の上の祝福の開廊(ロッジア)も同様であった。このためベルニーニは、信者たちが全能の神の抱擁を受けるための場所として広場を取り囲まねばならないと考えた。柱廊は、抱擁する両腕の象徴となるべきであった。 ICG/Gabinetto Disegni e Stampe, Fondo Corsini; volume 57N6 Id...
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106.聖母被昇天教会 Ariccia 

Collegiata di Santa Maria Assunta in Cielo 聖母被昇天教会 Piazza di Corte, 00072 Ariccia RM, 無休 8時00分~12時00分 16時00分~19時30分 うーむ、理解できていない。サン・ニコラ・バーリと違う宗派なのかとも思ったが、同じ大学組織の中なのかもしれない。それは保留とする。 いずれにしろ、教皇アレクサンダー 7 世は、新たな争いの中で、より美しく機能的な大学教会を建てたいという願望を抱き、1663 年頃現在のコルテ広場の近くに多数の家を購入し、都市と経済の大規模な再生をベルニーニに任せた。 新しい合議教会の祝福は1665年5月16日に行われ、最初にフラヴィオ・キージ枢機卿がアリシア支部とともに教会を祝福し、次に教皇アレクサンダー7世が多数の枢機卿、特に枢機卿の支援を受けて教会を祝福し厳粛な行事を祝い、その後教会は正式に大司祭と支部自体に引き渡された。 この教会の建築はベルニーニの最も完璧な作品の一つとしてさえ称賛されているが、こ典礼を祝うにはあまり機能的ではなかったため、教皇アレクサンダー 7 世によ...
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107.サンタ・マリア・ディ・ガッローロ聖域教会 Ariccia

Santuario di Santa Maria di Galloro サンタ・マリア・ディ・ガッローロ聖域教会 Via Appia Nuova, 54, 00072 Ariccia RM, 平日 7時00分~12時30分 17時00分~18時30分 日曜 8時00分~12時30分 17時00分~19時00分 15世紀、この地にあったサンタ マリア ディ グロッタフェッラータ修道院は、村の過疎化が進み、アリッチャに属することを誓約し、再建が始まった。 16世紀末、アリッチャの人々のマドンナ ディ ガッローロへの崇敬が非常に高まったので、マリオ サヴェッリ公爵の妻アルテミジア サヴェッリが、聖母像の周りに石造りの礼拝堂を建てることを誓ったが、土地の所有者である大学教会の参事たちは、公爵夫人が礼拝堂にサヴェッリの紋章を付けることを知り反対した。このことにより民衆の信心は徐々に薄れ、17世紀初頭には消滅した。 ガッロロ・マドンナの「最初の信者」、あらゆる意味で彼女の「再発見者」と考えられているのは、トスカーナ出身のサンテ・ベヴィラクアという名の子供で、1623年3月、あるいは他の説によれば1...
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122.サン・トマーゾ大学教会 Castel Gandolfo

Collegiata di San Tommaso da Villanova サン・トンマーゾ・ダ・ヴィラノバ大学教会 Piazza della Libertà, 12, 00073 Castel Gandolfo RM, 確か、ミサのとき以外いつでも開いている 教皇アレクサンダー 7 世 キージは、ジャン ロレンツォ ベルニーニに、併合された教皇宮殿の口蓋礼拝堂として使用するため、カステル ガンドルフォに教会を建設するよう依頼しました。当初、この礼拝所はバーリの聖ニコラスに捧げられる予定でしたが、後に1658 年11 月 1 日に列聖されたトンマーゾ ディ ヴィラノヴァに捧げられることが決定されました。 工事は1658 年に始まり、1661 年にアントニオ ラッジによる内部の漆喰装飾が完了し、教会が奉献されるまで 3 年間続きました。 サン・トンマーゾ・ダ・ヴィッラノーバ教皇庁区は教皇別荘の領土またはその職員の司牧管理を担当している。両教皇教区はバチカン市国および教皇別邸の総代理庁に依存しており、教会は教皇宮殿の隣接地域や付属の別荘などの治外法権地域に位置しています。 設計建築 ベル...
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123.教皇庁別荘 Castel Gandolfo

Ville pontificie di Castel Gandolfo / Palazzo Pontificio 教皇庁別荘 / 教皇宮殿 Piazza della Libertà, 00073 Castel Gandolfo RM, 日曜定休 平日 8時30分~13時00分 土曜 8時30分~16時30分 カステル ガンドルフォ教皇宮殿(またはカステル ガンドルフォ使徒宮殿 )は、教皇庁に属する博物館です。ベネディクト 16 世が教皇に就任するまでは、郊外の教皇邸宅でした。ローマの南約20キロ、アルバーニ丘陵沿いのカステル・ガンドルフォ教皇別荘の治外法権区域内に位置する。 ウルバヌス 8 世の時代から教皇が休日に頻繁に訪れていた教皇庁別荘の治外法権は、1871 年に保証法に基づいて教皇庁に認められました (ローマの大聖堂とラテラノ宮殿とともに)。そして1929 年にラテラノ協定で再確認されました。教皇たちは少なくとも年に一度、夏にカステル・ガンドルフォを訪れていました。教皇フランシスコはこの宮殿を夏の離宮として使用したことはありません。 教皇庁の別荘 Palazzo Pontific...
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10.Basilica di Santa Maria in Montesanto サンタ・マリア・イン・モンテサント教会

Basilica di Santa Maria in Montesanto サンタ・マリア・イン・モンテサント教会 Piazza del Popolo, 18, 00187 Roma RM,土曜日定休 平日17時30分~19時30分 日曜日11時30分~13時30分 教皇アレクサンデル7世が1662年に広場全体の再計画をカルロ・ライナルディに命じ、その一環として三つの通りの結接点に双子の教会の一つとしてこの教会が建てられらた。向かって左側のこの教会の方が敷地が狭いのに、ほとんど同じに見えるというのは有名。 ポルティコの改装 ベルニーニが1674年にこの教会建築の監督官に任命され、ポルティコ(玄関柱廊)を変更したといわれる。二つの教会を双子に見せるための設計をベルニーニが提案したとされるが、定かではない。 モンテサントのサンタ マリア大聖堂 (1675 年) と双子のサンタ マリア デイ ミラコリ大聖堂 (1678 年) は、特に面積測定においていくつかの違いを示していますが、この広場に完全なバロック様式の特徴を与えています。サンタ・マリア・デイ・ミラコリは円形の平面図ですが、モンテサン...
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13.Palazzo di Propaganda Fide プロパガンダ・フィーデ宮

Palazzo di Propaganda Fide プロパガンダ・フィーデ宮 Via di Propaganda, 1, 00187 Roma RM, ヴァチカンのカトリック布教局であり、1ブロックを完全にしめる大きな建築。教皇グレゴリウス15世が1622年に創設。スペイン広場を通り越したブィーノ通り突きあたりの建物。教皇庁に属する布教聖省の本部で,教皇グレゴリウス15世が1622年に創設,治外法権をもつ。1627年以来,若い宜教師の教育にあたっている。 プロパガンダ宮 1644年に、スペイン広場に面し、バルベリーニ家の紋章を戴く煉瓦造りのファサードをベルニーニが設計。1646年に、プロパガンダ通りに面した宮殿の側面をボッロミーニが設計。さらにベルニーニ作の宮殿内の「東方三博士の教会」も再建した。この事件は有名。   この建物は,ベルニーニがスペイン広場側のファサード(1644年)を,ライバルのボッロミーニが側面の設計(1646年)を担当した。 ボロミーニが 1662 年に完成させたプロパガンダ通りに面したファサードは、バロック建築の傑作です。柱柱と、交互の凹面と凸面の曲線を組み合わ...
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19.Palazzo del Quirinale クィリナーレ宮

Palazzo del Quirinale クィリナーレ宮 .za del Quirinale, 00187 Roma RM, 月曜・木曜定休 9時30分~16時00分 1550年に枢機卿イッポリト・デスタが丘の頂上に整備した館が始まりである。その後教皇の夏の滞在地となり、15922年には教皇クレメンス7世が完全にここに移り住んだ。工事はフォンターナ、マデルノ、ベルニーニ、フーガなど代表的な建築家によって継続され、教皇クレメンス12世の時代(1730~40年)にようやく完成した。歴代教皇の滞在は1870年まで続いたが、イタリア統一後は王宮となり、1947年に共和制が敷かれてからは大統領官邸として使われている。ベルニーニは扉口上部に祝別用のロッジアと、クィリナーレ通りに面する細長い翼廊部分を建築。 8.Sala del Balcone -Loggia delle Benedizioni- この宮殿はエステ枢機卿の別荘があった場所に夏の離宮として、グレゴリオ 13 世ボンコンパーニによって1578 年から建設され、設計は最初にマルティーノ ロンギ、次にオッタヴィオ マスケリーノに依頼しまし...
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20.S.Andrea al Quirinale サン・アンドレア・アル・クィリナーレ教会

Chiesa di Sant’Andrea al Quirinale サン・アンドレア・アル・クィリナーレ教会 Via del Quirinale, 30, 00187 Roma RM, 月曜定休 9時00分~12時00分 15時00分~18時00分 1658年前教皇イノケンティウス10世の甥の枢機卿カミッロ・パンフィーリに依頼され、ジェズイット派のために設計されたベルニーニの代表作。1661年完成。敷地に奥行きがないので、平面構成を横長の楕円形にして、その短軸上に入口と主祭壇を配置した。ファサードは両脇の2本の付け柱とその上のペディメントが玄関を囲む簡潔なものである。ところが玄関を入ると、巨大な付け柱に導かれて4本の円柱に仕切られた正面の主祭壇が迫ってくる。それは壁龕の中に設えられているために、楕円形の構成を乱すことなく、しかも天窓とは別の光源によって堂内に浮かび上がっている。さらに祭壇ペディメント上の上昇する聖アンドレアスの彫像(アントニオ・ラッジ、ベルニーニの助手作)が、天使(ラッジ作)の迎える楕円形天井の頂点へと視線を導く。暗褐色の大理石が基調をなす下部装飾は、金彩を施した豪華...
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23.Palazzo Barberini ­ -Galleria Nazionale D’Arte Antica-

Palazzo Barberini ­ -Galleria Nazionale D’Arte Antica- バルベリーニ宮 -国立絵画館- Via delle Quattro Fontane, 13, 00184 Roma RM, 月曜定休 10時00分~19時00分 このバルベリーニ宮とトラステヴェレのコルシーニ宮、二つともが国立絵画館である。HPも共通。 マッフェオ・バルベリーニはフィレンツェの富裕な商家に生まれたが、教皇庁書記長をしていた伯父の招きで、16歳の時にローマに出た。そして伯父の庇護のもとにイエズス会の学校で基礎的素養を身につけ、それからピサで法律を修めた。その後の彼は、持ち前の優れた能力と魅力的な人柄によって着実に出世し、1604年には教皇の大使としてパリに赴任することになる。そしてそのパリでもアンリ4世の信頼を得、結局王の推薦で枢機卿に叙せられ、ローマに戻ったのである。その後はスポレートの司教やボローニャの特使をつとめ、さらに1617年から教皇の座につくまではローマに落ち着いて教皇庁で活躍していた。彼は若い時から文学に惹かれ、自身イタリア語やラテン語、時にはギリシ...
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26.Chiesa di Santa Bibiana サンタ・ビビアーナ教会

Chiesa di Santa Bibiana サンタ・ビビアーナ教会 Via Giovanni Giolitti, 154, 00185 Roma RM, 日曜 8時00分~12時00分平日 7時15分~8時00分 18時00分~20時00分 創建は5世紀だが、1624年に主祭壇の下から聖女ビビアーナと両親、妹の遺骸が発見され、教皇ウルバヌス8世は教会再建を決意、ベルニーニによって建て直された。これは建築家としてのベルニーニ最初の作品。宮殿風ながら、二階中央に小祠(エディキュラ)を配し、中央部分の垂直性を強調するなど、バロック的性格は控え目ながら達成されている。線路のわきに、道路と直角な方向で建っている。正面は中に入ってからじゃないととらえられない。今日この小さな教会は、線路際のうらぶれた一画にとリ残され、一部の専門家以外には訪れる人もほとんどない。しかしベルニーニの最初の建築作品であるファサードと、最初の本格的宗教彫刻である《聖女ビビアーナ》、そしてピエトロ・ダ・コルトーナの最初の重要な壁画を擁するこの教会は、いわぱ盛期バロックが産声をあげた場所であり、バロック美術史上忘れることの...
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52.Basilica di San Crisogono サン・クリソゴーノ聖堂

Basilica di San Crisogono サン・クリソゴーノ聖堂 Piazza Sidney Sonnino, 00153 Roma RM, 無休 7時00分~12時00分 15時30分~19時00分日曜 8時00分~13時00分 15時30分~19時00分 サン クリソゴノは、殉教者聖クリソゴヌスに捧げられたローマの最初の教区教会であるティトゥリの 1 つ(リオネトラステヴェレ)の教会 で 4 世紀に建てられました。教会は三位一体派によって奉仕されています。1123 年にジョン オブ クレマによって再建され、1626 年にシピオーネ ボルゲーゼの資金提供を受けてジョヴァンニバティスタ ソリアによって再び再建されました。大聖堂が三位一体教団の管理下に置かれた直後の 1860 年代半ばに、さらなる改修が行われました。 主祭壇の右ポーリ礼拝堂Capprlla Poliと左のマドンナ・デル・カルミネ礼拝堂Cappella del Madonna del Carmine。混同され礼拝堂の主祭壇の入れ替わり等誤解を招いた過去を持つ。 ポーリ礼拝堂の建築 Capprlla Poli ベル...